この映画、半ば偶然、流れているのを観たのですが、ながら見をしているうちに引き込まれてしまいました。映画なのでちょっと極端に描いていますがテーマには深く共感しました。森口瑤子演じる景山光子がもの凄く綺麗でした。
安いプリティ・ウーマンっぽい展開を爽快に裏切る導入のあと、中盤以降は観ていて主人公(光子)にひたすら問いつめられているような緊張感が最後まで続きます。最後が腑に落ちない人もいそうですが、反応のブレは観客の心の中に光子的な考え方がどのくらいあるかによるように思います。自分は、そんなに違和感ありませんでした。
さて以下は、観客としての勝手な理解でしかありませんが、自分はこんなことを考えました。
主人公・光子は市役所の地味なOLで、出世も拒否して、気に入っている安アパートで一人暮らしをしています。重要なのは、「心から、積極的に」今の生活を選んでいるということです。なにかを我慢するでもなく、給料や値段の割には良い、とかではなく、本当に現状がベストだと思っているのです。
光子が問いかけるのは『自分にとって何が満足かも分からずに、毎日毎日どこへ向かって向上しようとしているのか』ということ。盲目的に、給料を上げたい、もっといい仕事をしたい、もっと成果を上げたい、社会はそんなふうに進んでいるけど、一体その先には何があるの?一生つらそうな顔して働いているけど、それで何が得られるの?それが本当に幸せにつながると信じてやっているんならいいけど、そうでないなら、止めたほうがいい。一度「満足」さえ見極めてしまえば、あとは「維持」でいい。もの凄く楽になる。一生、楽に生きていける。
右上がり至上主義は「社会」の都合であって、本来、個人には関係のないこと。しかも、右上がり社会に迎合して必死に向上しても、人生を差し出すに値するほどの見返りが得られる保証は、全くありません。
右上がり市場主義が目指す一般的なゴールは、『経済的自由の獲得』だと思いますが『カネがもたらす便益』さえ否定すれば、いますぐにでも『自由』は得られるのです。しかし、現代社会において心からこの考え方についてこられる人はいるはずもなく、だからこそこのストーリーの最後にファンタジーを感じます。
ただこのファンタジーを自分が受け入れられたのは、やはり劇中の光子(の精神)がちゃんと魅力的に感じられたからかと思います。冒頭「綺麗」とも書きましたが、これも精神が綺麗ということです(外観ももちろん素敵でしたけど)。
Posted at 2008.10.24 11:10 in 映画